青と黄色と昔のクルマ

2月の波志江MTでニッサンのZ32を見たり、青いクルマについて考えたりしているうちに、過去に所有していたクルマのことを思い出しました。たまには思い出話など。

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今の私の趣味車は青コルベットと黄スピダーなのですが、思えば青と黄色は昔から好きだったようです。スポーツカーと言えば赤が定番ですが、どういうわけか赤いクルマは一度も所有したことがありません。

 

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1990年から1994年まで所有していたZ32。2シーター・ツインターボです。新車で購入したので、イエローパールで注文しました。確か特別塗装色として追加料金を払った記憶があります。波志江MTで会ったZ32乗りの方によれば、Z32の2シーターは希少車で、中古車はほとんど2by2だそうです。
ちなみに、2シーターと2by2は、まるで別物です。ホイールベースの違いからくるものだと思いますが、2シーターの方が断然キビキビ感がありました。
エンジン内部はノーマルのまま、タービンを交換してました。ルーフにアンテナが立っていますが、これは430MHz帯のアマチュア無線のアンテナです。当時はまだ携帯電話はふつうの人が持てるものではありませんでした。レピーターという中継局を使うと、かなり遠くまで通話することができました。複数台で湾岸線を走るときは、これで前走車と連絡をとり合います。
デジカメもない時代なので、これはプリントされた写真をスキャナで取り込んでいます。

 

 

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そして、これが1994年から2007年まで13年間にわたって所有していたスーパー7です。写真がかなり色あせていて、なんとかここまで修正しました。13年間といっても、アメリカに住んでいた時期があるので、ガレージでホコリをかぶっていた期間も長いのですが。
これも新車で購入でしたので黄色を注文しました。注文から納車まで半年以上待たされたのを覚えています。

ここまで、私は黄色のクルマを2台つづけて購入していました。
しかし、そこに変化が現れたのが、この写真。
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JAFの競技用ライセンス(いわゆるA級ライセンス)を取得し、そしてスーパー7をレース用に改造して、当時流行したネオヒストリックというレースカテゴリーに出場するようになりました。この写真は、筑波サーキットのパドックでの写真ですが、レースをやるためのサポートカーとして購入したのが、右側に写っているハイラックス・ピックアップです。スーパー7はレース用としてナンバーを外していたので、積載車でサーキットまで運び、私は工具やタイヤを荷台に乗せ、チームクルーとともに、このピックアップで移動していました。
これも新車で購入したのですが、ブルーメタリックを注文しています。この頃から青色に傾倒し始めたのだと、今になって思います。

 

 

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スーパー7はそれから色々あって、フレームを作り変えたり、エンジンをニッサンのSR20に載せ替えたりしているうちに、フェンダーがブルー・メタリックになりました。エンジンのカムカバーも、わざわざブルーにしています。ノーズコーンだけは、まだ黄色。
このブルーは、たまたまショップにダッジ・バイパーGTSがあって、一目で気に入ったので「これと同じ色で」、と注文しました。すなわち、ダッジ・バイパーGTSを色見本にしたわけです。
この写真は、シャシーダイナモでエンジンのセッティングを出しているところです。当時は、まだインジェクションのスーパー7は珍しかったです。エンジンを載せ替えたスーパー7は数多くありますが、みなキャブレターでした。このとき、私はインジェクションで制御することにこだわって、いろいろと大変でした。
このあと、私はアメリカに渡ったので、このクルマは日本でしばらく眠っていました。

 

 

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で、そのスーパー7は、最終的にこうなりました。このときは、もうアメリカから戻ってきてコルベットZ06も持っていた時です。この写真はデジカメです。

 

 

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一時期は、こんな感じで、青/青 の組み合わせでガレージに入ってました。

Z32とか青色から、昔のことをいろいろと思い返してみました。
最近、歳をとってきたのか昔のことをよく思い出します。今はZ32もスーパー7も、持ち続けていれば良かったと思います。